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![]() ![]() ガーデニングと山歩きで生き生き人生>> サイトマップ >> 森の不思議な調べ 森の不思議な調べ森の不思議な調べ ![]() 神秘に満ちた森の調べの物語です。 森には不思議な調べが溢れています。 人は皆、森に対して深い畏敬の念を抱きます。 森に神秘を想います。 森の大木には神が宿ると考えます。 森は人間のちっぽけな想像なんか ぶっ飛ばしてしまいます。 森は不思議な調べを奏でながら、 静かにしずかに息吹いているのです。 果てしないほどの長い年月を経てきた森の前に、人間はあまりにも無力です。 森は水を生み、動物や昆虫を育てます。 人間も森から大いなる恵みを受けます。 森の懐の大きさは桁外れです。 人間はただただ森の調べにたゆたうのみです。 木々の葉のすき間から見えていた空が急に暗くなり、森に激しい雨が降ります。 高い梢の葉が雨に打たれているのがわかります。 しかし、降り始めの雨は、ほとんど木の葉にさえぎられて落ちてきません。 葉にたまった雨は、一部はそのまま蒸発し、一部は集まって滴り落ちます。 枝や幹を伝わって流れる雨もあります。 雨は少しずつ優しく落ちます。 森の調べは不思議に静かです。 ![]() ・・・・・・・・・ どんな木でも 木という木はみないい それは木ばかりではないけれど ことさらに木はいい 何ということもなくただ成長しているところが たまらなくいい そして木は 大きな木ほど立派である 今自分のすんでいるところに近く森林があるので 自分はしばしばそこへ行く そして大きな木をみる 腹が立つとそこへゆく かなしいとそこへゆく うれしいとそこへゆく つかれるとそこへゆく 気が腐ってくるとそこへゆく いてもたってもいられなくなると あわててそこへゆく そして大きな大木をみる 大きな大木だ ・・・・・・・・・ 種は何十年も何百年も土の中で芽生えの日を待ち続けることがあります。 そのうちに、森を見ずに死んでしまうものもあります。 芽生えるためには、温度と水と酸素、そして種類によっては冬の寒さを必要とします。 秋の終わりの気まぐれな暖かい天気を春と勘違いして、ひょっこり芽を出してしまっては、 冬の寒さで枯れてしまいます。 寒い日がある程度続いたあとで、暖かい日が訪れたときに初めて芽を出すようにと、 森の木々の種には芽生えの仕組みがプログラムされているのです。 さらに、光の量や土の中の深さなど、どの種にも厳しい発芽の条件があります。 毎年、たくさん実るミズナラのドングリのうち、 森の中で大きな木になれるのは、百万分の一以下でしかないことでしょう。 森の不思議のひとこまです。 冬の林 尾崎喜八 薄みどりの下生えと炎いろの枯葉との絨毯から 噴水のように吹き上げてもつれてからむ楢林。 頭上にのしかかるその無敵の枝張りは まるでゴチックの花形肋骨だ。 よくざくざくとふかい落葉を踏みわけながら、 この逞しい力の密集が 自分の精神にも綯(な)いこまれるのを感じる。 しかも森閑とした無人の世界は その明るさきわまりもなく ちらちら漏れる淡雪ばれの空は 朝鮮李朝の白磁よりも暖かく、柔らかく、 その遙けさと、その静けさとに、 この世の生活を忘れて 無限を生きているのだとよく想う。 森に湧く水がおいしいのは、土とその中の小さな生き物のおかげです。 地面にしみこんだ雨は森の土の中をゆっくりと流れます。 水に含まれていた不純物は、粘土や有機物に吸い付いて水はさらに澄むのです。 土に吸い付いたままでは、土はやがて汚れてすき間も埋まり、 水を浄化することはできなくなります。 吸い付いた不純物は、森の土の微生物に食べられて分解され、 気体となって空気に流れたり、無機物として再び水に溶けて植物の栄養となります。 こうして、森の土は水を浄化し続けることができるのです。 森の命は不思議な調べを奏でます。 森の木 串田孫一 ![]() 森の奥の その肌の美しい木に 鹿が一匹 頸をすりつけていた 木は枝を垂れ 枝先の葉をふるわせていたが 鹿をこっそりと 抱きかかえることは出来なかった ある風の日に 森の奥の木々は 方々で軋み合った 互いに傷つきながら 木の声を出したが それは何の意味にもならなかった 私は木の幹に凭れていたが 古い歌は ついに想い出せなかった 木漏れ日を縫って 蛾が飛んでいった ![]() 人間が彼らに気づく前に、 彼らの方が先に人に気づいてしまうからです。 動物たちは身を守るため、目も耳も鼻も、 そして多分、人間が失ってしまった もっと直感的な感覚をも総動員して、 常に気配を感じています。 動物たちに出会いたければ、森の奥でじっと動かず木や石になったふりをします。 そうして、森の気配の一つになったときに、 木の葉の陰や草むらから覗くつぶらな瞳にきっと出会えることでしょう。 森の動物たちが不思議な調べを運びます。 読人不知 伊藤静雄 ふかい山林に退いて 多くの旧い秋らに交っている 今年の秋を 見分けるのに骨が折れる ![]() 日がひかりはじめたとき 森のなかをみていたらば 森の中に祭りのように人をすいよせるものをかんじた 東北の森で、春は山菜、夏は川魚、秋はキノコや木の実、 冬はクマやイノシシなどを捕って生活する「マタギ」。 森での暮らしには厳しい掟があります。 山菜やキノコなどは、五つあれば三つだけ採り根こそぎ採ることはしません。 身ごもっているクマは決して撃ってはいけません。 もし撃ってしまったマタギは、猟師であることをやめなければならない、 と定められている森もあるのです。 旅の日のモーツァルト モーツァルト ああ、何というすばらしさだ。まるで、教会の中にいるような気持ちだ。 おれはこれまで、森というものに入ったことがないような気がする。 樹木の一族がこうして揃って並んでいるのは、 一体何を意味しているのか、今初めて気づくのだ。 どんな人間の手も彼らを植えたんじゃない。皆、自分でこうして立っているのだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 森の雪の下は意外に暖かいものです。 気温が氷点下になっても、雪の下の地面はおよそ零度です。 雪に包まれて、木の実や草の根はじっと春を待つのです。 我慢しきれない芽が、雪を突き破って伸びてくることもあります。 雪の森は静かで不思議な調べを宿しています。 月夜の森 三木露風 白き月夜にかがやく森 言葉なき言(ことば)に満ちて やや暗鬱なる思想の上に すずしき光を宿す。 孤独と沈黙とに その居るところを有(も)ち 観賞の眼をはなち 神をこころに置く者。 ああ夜更け、銀光の照りきわまるところ 精霊象(すがた)を現わし 蒼緑(さみどり)の森の中に さまざまの陰や形を造る。 寿命を終え、あるいは風で倒され、木はここで死んだ。 森は、その死を静かに受け止める。 しっかりと大地に広がっていた根は、むなしく空に突き上げられている。 幹にそっと触れる。 生きていたときの強さやみずみずしさは失われ、今にももろく崩れそうだ。 木々も、森の妖精たちの調べを、不思議な感覚で捉えている。 ![]() ![]() ![]() 取り上げさせていただいた詩は、現代の漢字とひらがな表記に変えてあります。 |
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